国家公務員からフーテンのプーさんになった次男の話

潜在意識

こんにちは。やすこです。

 

今回は国家公務員として数年働き、
辞職して海外を放浪している次男について
お話ししたいと思います。

 

えーっもったいない!と思いませんでしたか?

正直私は思いました。

公務員やってれば安泰じゃん!って思っていたんです。

でもね・・・

夢の消防士から一転国税局へ

実は次男も長男同様消防士になりたかった様です。
長男の背中を追い、高校を卒業して
公務員試験用の専門学校へ入りました。

 

1年後・・・

1件消防も受かりましたが、
自分が目指している所ではなかったようで
そこは辞退し
別で受かっていた国税局へ行く事になりました。

 

消防士から国税局!?と思いましたが
こういう事も専門学校なら可能なんですね。

しかも次男の場合、工業高校卒なので
レアなパターンかもしれません。

 

・・・で、高卒で国税へ入ると

丸っと1年、税務大学という場所で
寮生活をしながら、税務に関する事を徹底的に学びます。

その後各税務署へ配属され仕事が始まります。

 

そんな環境で、次男も周りの上司や先輩達に恵まれ
充実した日々を送っているように見えました。

表面上は・・・

 

でも違ったんですよね。

スーツを着て、決まった時間に家を出、
決まった時間のバスや電車に乗り込み
規定通りの仕事をこなす。

次男の心と体は正直だった様です。

 

健康だった子が熱を出したり、鼻血を出すように
なりました。

 

少し自慢話になりますが・・・

次男、なかなかのイケメンで
身長185センチ、足も長く醤油顔
スーツを着こなす姿は本当にカッコ良かったんです。

毎日目をハートマークにしながら
送り出していました←キモ

・・・で、えーっ仕事辞めたら

このカッコいい姿が見れなくなるじゃん!

公務員を辞めるなんて・・・と

今から思えば鬼母ですよね。

 

国税局を辞職

そんな時次男に「とんでもない事」が起こります。
(このとんでもない事は今は書く勇気がないので
メルマガの方でお伝えします)

 

その「とんでもない事」が原因で次男は辞職しました。

しかも時はコロナ禍・・・

本当はこのタイミングでオーストラリアへ行きたかった様ですが
日本を出る事ができない状況でした。

 

フーテンの始まり

次男は自然と海を求め、石垣島へと旅立って行きました。

 

もうこの時には「ただ元気で生きてさえいてくれれば良い」
そう思っていたので、応援する心境で送り出しました。

特につてもありませんでしたが、
すぐ仕事や住まいを見つけ本当に充実した日々を送っていた様で、

たまに送られてくる写真を見ながら
安堵していたのですが・・・

 

しかし「オーストラリアへ行く」と言う夢は
諦められなかった様です。

 

夢のオーストラリアへ

コロナが開けてすぐ
オーストラリアへ。

全く英語を話せず、
(工業高校で英語の成績は…5段階の3)

日本を出る時は、仕事も住まいも何も無い状態。

ただあるのは情熱だけ・・・。

 

こちらが心配して色々聞いても

「大丈夫。今はSNSがあるからなんとかなる」
と言うだけ。

 

親の心配をよそに、ワーキングホリデーの制度を利用し、
次男は意気揚々と旅立って行きました。

 

もうこの頃は次男のやる事には諦めというか
要らぬ心配いはしないでおこうと決めていました。
いちいち心配しているとこちらの身が持ちませんからね。

地球上のどこかで元気にしてるから大丈夫という心境でした。

 

そしてこちらの心配をよそに

次男はオーストラリアでも多くの経験を積んだ様です。

 

ブルーベリー農家やイチゴ農家で働いた様ですが、
送られてくる写真は黒、白、黄色様々な国の人たちと
本当に楽しそうに過ごしている姿でした。

あちらは次男のような若者が多く
シェアハウスなども充実しているそうです。

 

約1年をオーストラリアで過ごし、
そこそこお金も貯めた次男。

 

ひと月しっかり仕事をすると、
手取りで40万円/月ほどになったそうなので
若者たちがオーストラリアを目指すのも
分かる気がします。

 

もちろんその分、物価も高いので
生活費もかかった様ですが・・・。

 

私は旅行でもオーストラリアへ行った事がないのですが、
本当におおらかな国なんですね。

 

帰国後は、これで少しは落ち着くのかな・・・と思いましたが、

 

次はオーストラリアで稼いだお金を持って
東南アジアから陸路でインドを目指すと言い出しました。

 

東南アジア〜インドへ

オーストラリアは多少物価は高くても
治安の良い国という印象ですが・・・

 

東南アジアからインド・・・と
聞いた時は流石に考え直して欲しいと思いましたが、
何処かで「何を言っても無理だな」と諦めていました。

 

案の定さっさとバンコクへの渡航手続きをして
数週間後旅立って行きました。

 

時折送られてくる写真やLINEには
現地で仲良くなった人に
観光客は行けない様々な場所へ案内してもらったり

 

ゲストハウスを手伝いながら
宿泊場所や食事を提供してもらったりと
楽しみながらインドを目指しました。

 

無事インドの地へ降り立ってからは
12年前(中学の卒業旅行)の思い出の地を辿ったり

ガンジス川で沐浴を経験したようです。

コロナのせいか12年前よりガンジス川が
綺麗になっていたと驚いていました。

これも実際インドへ行ったから分かった事ですよね。

 

次男の育て方

この次男の行動力は、どこからくるのか紐解いてみると・・・

中学卒業記念で長男達と行ったインド旅行かもしれません。

 

当時も往復の航空券と初日のホテルだけ事前に予約し
後は全てフリーという旅行へ行ったんです。

 

今ほど治安は悪くはありませんでしたが、
長男と長男の友人2人、そして次男の4人で
インドを目指しました。


その約2週間、私は食事が喉を通らず、
夜、眠る事もできませんでした。

 

しかし、私の心配をよそに
その時なぜか次男だけがお腹を壊す事もなく、
トラブルにも遭わず帰国したんです。

 

長男たちはお腹を壊したり、
犬に噛みつかれて医者へ行ったりと
(狂犬病が怖いので)
色々トラブルがあったようですが・・・

 

この経験が自信になったのだと思います。

 

あとは驚くほどのコンミュニケーション能力!

 

次男を連れどこかへ行くと
必ず誰かと談笑しています。

老若男女問わずです。
人が寄って来るというか・・・。

 

不思議な子だな〜と思ってみてますが、
かく言う私も次男が大好き←キモ

 

どんな風に次男を育てたか思い出してみましたが、

 

長男に比べ、かなりおおらかに育てましたね。

 

長男には勉強も強いましたが、
次男には「九九」が出来なくても、
「九九」が出来ない大人はいないからと
気にもしませんでした。

 

そうすると「これはまずい」と自分で練習したのか、
気付けばスラスラ言えるようになっていました。

 

自転車の補助輪も知らない間に取れてましたね。

極論ではありますが、

私が次男に常に話していのは
「ママは〇〇君が大好き。
〇〇君はみんなに愛され、
〇〇君もみんなを大切にするんだね」と。

そしてスキンシップ。

 

それでも小学生になると
手も繋いでくれなくなりました。

 

少々常識から外れた次男ではありますが、
自分の人生を楽しむ姿が羨ましくもあります。

 

何かの参考になれば幸いです。

・・・ということで今日はこの辺で。

 

それではまたね。

 

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