こんにちは。やすこです。
今回は父(80代)、私(50代)、長男(20代)の
3世代で 富士登山へ初挑戦した時の事を
お伝えしたいと思います。
なぜ3世代で富士登山をする事になったのかというと?
それは父が80歳、傘寿(さんじゅ)の記念に
富士山へ登りたいと言い出した為。
元々父は若い頃、北アルプス、南アルプスなどの山々へ
何度も登った登山愛好家だったそう。
そんな父が日々スクワットやウォーキングで足腰を鍛え
満を持しての希望を、無視する訳にもいかず、
また私自身いつかは富士山に登ってみたいという
願望もあった為、 どうせ登るなら今がチャンス・・・と
父の話に乗っかりました。
しかし流石に80代の父と登山ド素人の私2人では不安があり、
消防士で普段から体を鍛えている長男に
じいちゃん孝行をするようにと父のサポートを頼みました。
この判断が後に大変な事になるのですが・・・。
どんな珍道中になったのか
富士登山に興味があれば(なくても)
是非最後までお付き合いくださいね!
富士登山のための事前準備に余念なし!
そうと決まればまずは事前調査です。
富士登山に関する事を色々調べてみました。
まずはガイド等サポート体制はどうなっているのか、
地元をバスで出発し、八合目の山小屋へ一泊、
早朝山頂を目指したかったので
そういうツアーはあるのか、
富士山の天気と装備など、
次から次へと疑問点が出てきました。
でも今はすごい時代ですよね?
気になる事は全て携帯一つで解決できました。
結局山梨県側の「富士吉田ルート」でガイド同行のツアーに決定。
しかも翌日は温泉の入浴が組み込まれていて、
どんなに汗や砂埃で汚れても温泉でさっぱりできる・・・
温泉好きの私には最高のツアーでした。(笑)
その上富士登山用の装備レンタルも充実していて
登山靴からレインウエア、大型のリュックサックまで
一通りの物がレンタルが可能。
たった1度の登山の為に色々揃えるのは大変ですが、
その必要はいっさいありませんでした。
8月第一の金・土曜日に決行予定。
長男も家族と共に東京から帰ってきました。
前日の私は小学生の遠足前の様な心境で、
ドキドキワクワク、嬉しくて眠れませんでした。
多分父も同じかそれ以上の心境だったと思います。
弟からは「きついと思っても足を前に出せば山頂は近くなる。
だから絶対大丈夫!」と言われましたが、
これは大きな間違い。
足は前に出すのではなく、上へ上げるのです!
しかも大きな岩をよじ登る・・・(泣)
歩く事はいくらでもできますが、
階段を登り続ける事ってきついと思いませんか?
このアドバイスは大きな誤算でした。
いよいよ富士登山決行!
前日から実家へ泊まり込み
朝、駅へ集合しバスで一路山梨県へ。
流石に父・娘・孫の3世代のグループはありませんでしたが、
他のグループも皆楽しそう。
途中昼食を取りながら、バスで富士山五合目を目指し、
午後2時頃から富士登山開始。
・・・しかし六号目に差し掛かった頃
自分の判断がいかに浅はかだったかに気が付きました。
きつい!しんどい!もう無理!と心の中で叫びながら
登る事になりました。 (泣)
「富士山は登るものじゃなく、
遠くから美しい雄姿を眺めるものだ」とよく聞きますが、
まさにその通りだと実感しました。
しかも山の天気の変化は早いんです。
さっきまで明るかったのに、突然雨が降り出したり・・・。
その度にレインウエアを着たり、脱いだり。
一つ一つの余分な動作が体力を奪っていく様な感覚。
高度が上がるたびに寒さも増してきます。
もちろんフリースなど冬用装備もしていきましたが、
その脱着も大変でした。
八合目に山小屋を予約してありましたが、
もう足が動きません。
父の方がまだ余力はありそうでしたが、
似たり寄ったりの状況。
八合目に近くになると、 ほぼ大きな岩をよじ登る感じです。
流石に見かねた長男が自分のリュックを山小屋へ置き
私たちの所まで戻ってくれ、2人分のリュックを背負い
背中を押して山小屋まで連れて行ってくれました。
あの時ほど長男を頼もしく感じた事はありません。
やっぱり長男に頼んでよかった・・・と思いましたが・・・
そして山小屋で食べたカレーライスは
涙が出るほど 美味しかったです。
山小屋では雑魚寝でしたが
そんな事は気にならない程に疲れ切っていました。
翌朝、山頂を目指す人のみ2時に起床、
そのまま下山する場合は4〜5時起きで、
山小屋前で御来光を拝むという選択がありました。
結局長男のみ山頂へ、
父と私は山小屋から下山する事に決めました。
翌朝は晴天!絶好の御来光日和!
人っていい加減なもので、
昨日はあれ程富士登山を後悔していたのに、
素晴らしい御来光を見た瞬間
全てのマイナスが吹き飛びました。
ここまで登って来られてよかった!
ありがとうございます!と全て感謝の想いに
変換されるんですよね。
もう手を合わさずにはいられない心境になります。
生まれて来て良かった!生かせてもらえてありがたい!
そんな心境です。
そして山頂を見上げるとこんな風景が広がっていました。
空の色が違うんですよね。青が濃い!
しかし感動に浸っていたのも束の間・・・
現実は大きな荷物を背負って
下山しなければいけません。
登山って当然の事ながら必死で登っても
また降らないといけないんですよね。
そして思っている以上に下山はキツイ。
体力を奪います。
私達が下山を始めて間もない時
長男が私達の横を走り過ぎて行きました。
「危ないから気をつけなさいよ〜!」と
声をかける私達に
「余裕余裕!五合目で待ってるねー」と息子。
最初は父と歩調を合わせていましたが、
徐々に父が遅れるようになり・・・
父も自分のペースでゆっくり歩きたいからと
少し先で私が待つ事となりました。
なんせ自分の歩調で歩かないと
さらに疲れが増すんですよね。
アクシデント発生!
・・・しかしどんなに待っても父の姿が見えません。
???何かあった?
携帯も繋がらず、これは人の流れに逆らってでも
父を探しに再度登らなければ・・・と
覚悟を決めた時 父から着信が・・・。
「ちょっと転んで足を捻った。
今から馬で降りるから」と。
「はぁ?馬?大丈夫なの⁉︎」と動揺する私に
父は涼しい声で「そんなに痛みもないから大丈夫」と。
そして程なくして悠々と馬にまたがり、
私の横を通り過ぎていく父の姿がありました。
父が来たら、せめてこのリュックだけでも
一緒に持って行ってもらおうと待ち構えていたのですが、
この富士登山道と馬にまたがる父の姿が
あまりにもミスマッチで
声をかけるタイミングを失ってしまいました。
父の後ろ姿を目で追いながら、
なぜか頭の中ではゴダイゴの「ガンダーラ」の曲が
流れていたのを今でもはっきり覚えています。
父は父で私を探していたそうですが、
全然気が付かなかったと。
気が付いたら写真を撮って欲しかったと言われましたが、
どこまで能天気な人だろうと、我が父ながら耳を疑いました。
なんとか五合目まで辿り着き、
長男と合流しようと思いましたが、
姿がありません。
携帯で電話をすると救護所にいると。
???どういう事?・・・
父も救護所へ向かったので
そこで3人合流する事ができたのですが。
長男曰く、六号目あたりを降りている時に、
前を歩いている人を避けようと、
よけた瞬間バランスを崩し転倒したと。
「そのまま五合目まで歩いて来たもののちょっとまずいかも」と。
「まずいってどういう事?」
「最悪骨折」と長男。
「マジで⁉︎」もう頭を抱えてしまいました。
結局五合目まで救急車を呼んでもらい、
父が患者、息子が付き添いという形で
山梨県の日赤病院へ行くこととなりました。
救急車は3人は乗れないそうで、
私は3人分の大荷物を持ってタクシーで病院へ。
病院へ着くと既にレントゲン等の検査が始まっていました。
結局・・・
2人とも足を骨折していました〜。(泣)
しかも父は右足の膝から下の骨が
スクリュー状に骨折していて
かなりの治療期間が必要になると・・・。
でも本人は痛みを我慢している様子もなく、
ケロっとしていたんですよね。
お医者さん曰く、加齢で痛みが鈍くなるそうです。
まぁ痛みがないのは何よりでした。
長男も一旦骨をボルトで固定し、
それを外す必要があるため
2度の手術をしなければならないと・・・。
父と長男、アクシデントの捉え方
ただここで不思議だったのが
骨折した当の本人達が悲観的にならなかった事。
むしろ、この状況を楽しんでるの?とまで
思うほどでした。
「まぁ起きちゃった事は仕方ないね〜
取り敢えず迎えに来てもらわなくちゃね〜」って感じです。
思い返せば、父も長男も運の良い人達でした。
目に見えない力に応援されているというか。
(まぁ運が良ければこんなアクシデントに
合うこともないのかもしれませんが)
ただ別の見方をすると、
これだけで済んで良かったのかもしれません。
もしかしたらもっと大きな不運に
巻き込まれていた可能性だってあるわけです。
父が転倒した際、頭をぶつけていたら・・・とか、
長男が前を歩く人を避けきれず、
見ず知らずの人に怪我を負わせていたら・・・とか
でも祖父と孫(父と長男)は
このアクシデントのおかげで、
より結束力が強くなった気がします。
隣り合うベッドでお互いを気遣い合いながら、
長男が幼かった頃の話で盛り上がったそうです。
長男が3歳まで実家近くに住んでいたので、
初孫の長男を両親がとても可愛がってくれました。
それを再確認したのか 元々仲は良かったのですが、
この一件以降 息子は両親(祖父母)を
目に見えて労わるようになりました。
・・・で結局ギブスで固定し、
応急処置をしてもらい
急遽弟と母が山梨の病院まで迎えに来ることとなりました。
父はその後3ヶ月ほど入院した後
リハビリに通いましたが
今では以前同様毎日スクワットとウォーキングを
欠かさない程の健康体となり、
長男はお嫁さんの運転で東京へ戻り、手術をし、
10月を迎える頃には元通りの生活に戻っていました。
父と長男は「潜在意識」という言葉は知りません。
でも私から見ると上手い事、
潜在意識活用してるな〜って思うんですよね。
捉え方が常にポジティブで自然体。
起こった事実は変えられません。
でもこういう時にどんな風に解釈するかで
結果って随分変わってくると思うんです。
不安に対する対処法
・・・とはいえ、ネガティブの状態を
無理にポジティブに捉えるって出来ないですよね?
目の前に不安や心配事が広がっていたら
どうしても悩んでしまいます。
あなたは今不安感がありますか?
もしあればどのような不安でしょうか?
仕事の不安?金銭的な不安?夫との関係性?
人それぞれ悩みや不安は付きものですが、
一度悩みのサイクルへ入ってしまうと
そこからはなかなか抜け出せないですよね。
私もそうでした。
ぐるぐる、悩みのサイクルへハマっていました。
でもそのサイクルから抜け出さないままでいると、
日々心地良く過ごす事ができないんですよね。
潜在意識や引き寄せで
願いを叶えていきたいと思うなら
まず日々心地よく過ごす事が大前提。
なのでこの不安サイクルから抜け出す事が
大切になってきます。
ではなぜ不安サイクルにいつまでもハマってしまうのか?
実はこれには理由があって
ちょっと分かり辛いかもしれませんが・・・
潜在的に悩んでいる状態にメリットを感じているからなんです。
???ですよね。悩みにメリットって?
例えば私の場合、昭和チックな
ブラック企業に6年以上勤めたんですけど、
毎日仕事が嫌で嫌で悩み続けていました。
営業職だったんですけど、
ノルマとかが半端なく厳しかったんですね。
そうすると解決策は転職しかありません。
でも潜在的には「この歳で転職は難しいし」
「正社員でボーナスもしっかりもらえるし」
「人間関係は良いし」・・・と
転職しないメリットを無意識に受け取っていたんです。
転職をしようとすると、大きな変化があります。
でも大きな変化って恐怖心が伴いますよね。
いわゆる安全安心のコンフォートゾーン
(現状維持機能)から出るのが怖いんです。
なので決断しない=コンフォートゾーンを出ない・・・
その代わりに悩み続けていた・・・と言う事です。
お分かり頂けたでしょうか?
ではその対処法は?と言う事なんですけど、
実は可視化する事が一番の近道だと思います。
悩みのサイクルから抜け出さない恐怖心があるはずなので
それを実際ノートへ書き出していくんです。
私の場合だと
①この歳で転職は難しい→転職先がないかもしれない
②正社員でボーナスもしっかりもらえる
→仕事が見つからなければ収入が減る
③人間関係は良い
→新しい職場では嫌な人がいるかもしれない
・・・の3点ですね。
何を潜在意識が怖がっているのか
これを自分自身で知る事が大切です。
その上で怖がっている事は克服できるし、
そんなに悩み続ける必要がないと
自分の中に落とし込めます。
可視化する事で、頭の中や心の中を整理でき
気持ちがスッキリし悩みが軽くなります。
なので私が教える潜在意識の書き換えでは
まずあなた自身に幸せになって頂き、
その波動であなたの周りの人達にも
幸せになって頂きたいと思います。
もし今あなたが不安を感じていたり、
自分も周りも幸せにしたいなと思っているなら
私のメルマガを読んでみてくださいね。
私がこれまで学んできた潜在意識の書き換え方を、
たくさん紹介しています。
・・・という事で今回はこの辺で
それではまたね。
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